今帰仁城跡・今帰仁グスク関連遺産・遺品1

[1]クバの御嶽

今帰仁城跡の西にある古期石灰岩ならなる植物に覆われた丘陵。地元ではウガミーと呼び神域とされる。
[2]プトゥキノイッピャ

クバの御嶽の斜面中腹にある洞穴。拝むと子宝に恵まれるといわれ参詣者が絶えない。
[3]ハンタ道

今泊と今帰仁グスクを結ぶ道。平たい自然石沿いに松並木かあり往時の道が偲ばれる。
[4]ワカサノツカサ御イベ

クバの御嶽の頂部付近には大きな岩を背にイビがあり、祭神を「ワカサノツカサ御イべ」と言う。
[5]オーレ御殿

コンクリート造の祠で、かつてこの地に阿応理屋恵ノロ殿内があったとされる。地元ではハーラヤーグヮーと呼ぶ。
[6]オーレ御殿火神

昔のままの土壁にコンクリート瓦が載せられている建物で、中には香炉と石が安置されている。
[6]アタイ原石積み遺構

今帰仁城跡の北側のアタイ原には石積みの遺構が広がり、かつてあった今帰仁ムラの集落跡だと考えられている。
[7]供のかねノロ火神

旧道沿いに建つ。中には香炉を安置し東北を拝む。改築されたが、かつては茅萱の建物であったという。
[8]ミームングスク

グスクは高さ約1.5メートルの石積みが円形状に積まれている。今帰仁城の出城ではなかったかと考えられる。
[9]シニグンニ

地元でヤマグヮーと呼ばれる丘陵に築かれた凸型に積み上げられた石積みの遺構。
[10]チンマーサ

付近一帯はシンミヌファイと呼ばれ、3つの積み石がありチンマーサと呼ぶ。
[11]阿応理屋恵ノロの勾玉

阿応理屋恵ノロは国頭地方の最高神女として今帰仁城内における祭祀を司る。現在寄託を受け村文化歴史センターに展示されている。
[12]志慶真乙樽の墓

今帰仁城主に仕えた絶世の美女と言われる女性がいました。遺言により志慶真川の近くに墓が築かれています。
[13]今帰仁ノロの勾玉と簪

今帰仁・志慶真・親泊の3つのムラの祭祀を司るノロで、現在も仲尾次家が祭貝を伝承する。
[13]今帰仁ノロ殿内

現在のノロ殿内は今泊にあって、仲尾次家が住んでいる。
[14]今帰仁ノロの火神

火神の祠は神の石と香炉が安置され当該地はかつての今帰仁ノロ殿内の住居地と伝えられる。
[15]今泊

親泊村と今帰仁村が合併して今泊となる。現在も集落区画が残り伝統的集落の景観を残す。
[16]池城墓

墓室には「さき山おおやくもひ」と墨書される石厨子が安置され、墓庭には1670年の墓碑が設置されている。
[17]志慶真川

今帰仁城跡の東側を流れる川で今泊、兼次の境界となる。晴れた日には地下に浸透し、伏流水となる。
[18]ナガナートゥ

「長い港」を意味する。唐船(トーシン)グムイの地名が、かつて往来したであろう船を彷彿とさせる。
[19]津屋口墓

別名アカン墓、監守の第三世和賢が葬られているとされる。墓庭には1678年に建立された「墳墓記」と記された墓碑がある。
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更新日:2024年01月09日