今帰仁城跡・今帰仁グスク関連遺産・遺品2

[20]赤墓

諸志の佐田浜海岸にある墓で御拝領墓とされる。崖を利用して造営される。
[21]諸志御嶽

国指定の天然記念物に指定され亜熱帯地万の植物がよく残る。御嶽内には岩陰墓が数基あり、頂部付近では石塁状の石垣が確認される。
[22]運天

運天は『おもろさうし』に「うむてん つけて こみなとつけて」と謡われた良港。行政の中心で、歴史的な墓も多い。
[23]宿道(すくみち)

かつては首里王府の幹線道路。現在は国道505号として機能。松並木がかつての面影を残す。
[24]諸志

明治36年に諸喜田村と志慶真村が合併してできたムラで方言でスクジャと呼ばれる。(写真:フンジロ)
[25]イェーガー

今帰仁城跡から今泊へ下る道沿いにあって、豊富な水を供給した。
[26]ティラガマ

運天の寺原にある自然洞穴で、伝説では源為朝が一時隠れ住んだとされる。
[27]シイナグスク

山間の高地に築かれたグスクで石垣が残る。伝説によれば、「北山城の築かれる前に按司が住んでいた」とされる。
[28]古宇利グスク

古字利島の西側にある。伝説では「今帰仁グスクと競い合い築き始めたが、今帰仁グスクが早く築かれた」とされる。(写真古宇利島)
[29]中城ノロの勾玉と水注

中城ノロは兼次・諸喜田・与那嶺・仲尾次・崎山の5つのムラの祭祀を司るノロで、現在宮城家が勾玉と水注を伝承する。(写真:水注)
[30]ハタイ原ウーニー

舟型にくぼんだ2つの石をそれぞれ今帰仁ウーニー、本部ウーニーと呼び、海上安全祈願を行う。
[31]蔡温松

すくみち沿いの松並木はかつて蔡温の政策で植林したと言われ、蔡温松の愛称で広く知られる。
[32]勢理客ノロの簪

勢理客ノロは勢理客・湧川・上運天・運天の四つのムラの祭祀を司るノロで、現在大城家が簪を伝承する.
[33]カルスト地形

本部町の大当や山里は今泊の隣地で石灰岩が侵食してつくられた円錐丘が並ぶカルスト地形を成す。
[34]百按司墓

自然の岩陰を利用して造営された数基の墓所が並ぶ。北山に関連する按司の墓と推定される。
[35]大北墓

別名按司墓。第二監守(今帰仁按司)の御拝領墓である。二世、四~七世までの監守とその一族が葬られている。
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更新日:2024年01月09日