今帰仁城跡・修理されるグスク

地元民による整備

地元民による整備の写真

明治2年十四世向世忠に代わり尚泰王の弟尚弼が今帰仁間切を領有とし、「今帰仁王子」と称し今帰仁御殿となりました。これまでの今帰仁御殿は具志川御殿となります。大正4年には今泊と具志川御殿は資金を出し合い城内の「火神の祠」とその敷地14坪を除く城地を買い取り今泊が管理するようになります。昭和18年には城跡地内に北山神社建設が沖縄県庁で決定され、今帰仁御殿は火神の祠と敷地を、今泊と具志川御殿は城地全域を北山神社に寄付しました。しかし、戦争で北山神社の建設は中断します。その間今泊は城地の管理を個人に委託したり、桜や蜜柑を植樹するなど積極的な管理を進めていきました。

琉球政府による保存修理事業

今帰仁城跡が行政上の保護・指定を受けたのは昭和30年1月25日琉球政府文化財保護委員会に記念物として指定を受けたのが最初になります。その後、昭和37年6月7日には有形文化財の建造物として指定を受けています。昭和37年~40年には琉球政府文化財保存調査委員会によって保存修理事業が行われ平郎門と大隅の城壁修復が実施されました。

国指定史跡今帰仁城跡の整備

国指定史跡今帰仁城跡の整備の写真

昭和47年沖縄の日本復帰と同じ年に国の史跡に指定されます。昭和50年に城郭がさらに広範囲に広がることを確認します。この部分を昭和54年12月28日に追加指定、昭和52・53年度には「保存管理計画」を策定し、これに基づいて昭和55年度から「史跡 今帰仁城跡保存修理事業」として整備事業が継続実施されております。石垣の復元には復元箇所を明示するように新旧の境目にはマーキングをし、積む作業は技術を伝承する石工さんを中心に年次的に復元整備を進めています。

世界遺産を守り継承する

2000年12月2日、今帰仁城跡が『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界文化遺産への登録が決定しました。今帰仁城跡の周辺環境とあわせて今帰仁城跡は世界遺産として登録されたのです。村は世界遺産登録を通じて、東アジアに生きた琉球王国の文化遺産を将来も大切にしていく決意を全世界に表明しました。

世界遺産登録を記念したイベント

今泊区による奉納演舞

この記事に関するお問い合わせ先

社会教育課 歴史文化センター
〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊5110番地

電話番号:0980-56-5767

更新日:2024年01月09日