今帰仁城跡・琉球王国の誕生

琉球王国の歴史

グスクの造営と按司(あじ)の誕生

三山の領域と主要なグスクの図

十世紀から十二世紀頃、琉球列島にはシマ(村)を統率するリーダーが登場します。彼らは「按司(あじ)」あるいは「太陽」や「世の主(ユヌヌシ)」と呼ばれ、やがて緩やかな地域統合がなさされる中、沖縄本島には三つの政治的領域が築かれました。山北・中山・山南として中国の史書にも登場する三山がこれです。各王は中国(明)と朝貢(ちょうこう)を行い富を得るとともにその支配権を強めていきます。やがて15世紀はじめに尚巴志(しょうはし)によって三山統一が進められ琉球王国が誕生します。

琉球王国の精華

琉球国王図(比嘉華山『琉球風俗画帖』沖縄県立博物館所蔵)

琉球は中国(明)の解禁政策により海外貿易を制限していた中で冊封貿易を進めます。中国との交易により富を得、南はシャム、安南、マラッカなど、北は日本、朝鮮へと船を出し産物を仲介する貿易を行っていました。主な交易品は中国陶磁、金、銀、生糸(きいと)、緞子(どんす)、麝香(じゃこう)などを中国から海外へ、逆に東南アジアからは香料、錫(すず)、象牙、酒などを満載して帰国します。王国の繁栄は第二尚氏の誕生により隆盛(りゅうせい)を極め、王府組織の官僚制の整備と土着の宗教体制を整え、琉球独自の神女組織(しんにょそしき)ノロ制度を確立させます。
1609年薩摩の侵攻により大きなターニングポイントを迎えた琉球は日本と中国の狭間にあって新たな時代への対応を余儀なくされます。時代に翻弄(ほんろう)されながらも17世紀後半に整備された王府身分制、羽地朝秀(はねじちょうしゅう)・蔡温(さいおん)らの改革等により国家経営を模索(もさく)、17~18世紀には現代に引き継がれる文学、芸能、美術工芸が発展し、王国文化に大輪の花を開花させることになります。1879年明治政府は琉球藩を廃止、沖縄県を設置。ここに450年の琉球王国の歴史が閉じられます。

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更新日:2020年10月19日