今帰仁城跡・今帰仁城の歴史

今帰仁城の歴史と伝説

三山鼎立(さんざんていりつ)の時代

集落を統括していた各地按司(あじ)がまとまっていく過程で、やんばるでは今帰仁(なきじん)グスクへ、中頭(なかがみ)では浦添(うらそえ)グスクへ、島尻(しまじり)では大里(おおざと)グスクや南山(なんざん)グスクへその力が集約されていきます。
今帰仁・浦添・大里(高嶺)の三グスクを中心にまとまった時代が三山鼎立(さんざんていりつ)時代です。三山鼎立時代に至るまでには、大小様々なグスクが割拠(かっきょ)したと考えられ、今も残る遺跡にその痕跡(こんせき)を見ることができます。

大小様々なグスクの図
今帰仁(山北)関係歴史年表

『中山世鑑(ちゅうざんせかん)』や『中山世譜(ちゅうざんせふ)』によると「琉球は有史以来統一王統によって統治されてきたが、英祖王統玉城王代の延祐年間(1314年~1320年)に至って国政が乱れ、今帰仁按司と大里按司が離反して山北・南山を形成したため、統一王統は崩れ中山の勢力範囲が限定された」といわれます。その見解は、『北山由来記』や野史(やし)、各地の門中(もんちゅう)の持つ『元祖由来記(がんそゆらいき)』などの背景になっていて、今でも根強く語られる歴史認識となっています。しかし、現在の研究では三山は諸按司(しょあじ)の抗争から形成された小国家であると理解されています。

中国の史書『明実録』に登場する山北の王は、怕尼芝(はにじ)・みん・攀安知(はんあんち)の三王で、各王の交易記録を見ますと琉球国山北王怕尼芝(1383年~1390年)は7年間に6回、琉球国山北王みん(1395年)が1回の交易、琉球国山北王攀安知(1396年~1416年)が19年間に11回の交易を行っています。

交易は時の中国明との間に公的に行われ宝物として冠帯や衣服などの品々を賜りました。三山でも中山は最も数多くの進貢(しんこう)を行うとともに留学生を送り直接中国の学問や政治・社会制度を学ばせ、中国から技術を持った人々を帰化(きか)させるなど、大陸の新しい文化を積極的にとりいれていきました。そのことがやがて他の二つの小国家をしのぐ勢力を築くことになり、琉球を統一する礎(いしずえ)となりました。

海外貿易図

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更新日:2020年10月19日