今帰仁城跡・志慶真門郭、志慶真門跡、水揚げ場の跡

今帰仁城跡:志慶真門郭(しじまじょうかく)

志慶真門郭(しじまじょうかく)の写真

志慶真門郭(しじまじょうかく)は城跡南側、主郭より一段低いところにあります。ここは今帰仁城の裏門にあたり、戦略上重要な所であったと思われます。城壁は原形に近い形で残っており、築城技術を知る上で重要な場となっています。この郭(くるわ)は昭和55年~57年(1980年~1982年)に発掘調査が行われ、埋もれた階段や石畳道、段々畑のように宅地造成された平場やそこに築かれた建物跡がいくつか発見されました。現在そのうち4棟の掘立柱建物跡の遺構を表示しています。建物は約6メートル×4メートルの広さで中には炉跡も確認されています。城内の重要な郭の一つで、按司(あじ)の家臣たちが生活した場所と考えられています。発掘調査では多くの遺物が出土しており当時の生活の様子が伺えます。

今帰仁城跡:志慶真門跡(しじまじょうあと)

志慶真門跡(しじまじょうあと)の写真
志慶真門跡(しじまじょうあと)の地図イラスト

志慶真門郭(しじまじょうあと)の南側に城壁が途中で繋がらず崩れ落ちているところがあります。これが門の跡です。志慶真門郭の南側に志慶真ムラ跡があります。『琉球国由来記』には「本部大原、裏門、志慶真門郭ヲ守護シタル」として登場、かつて城門は木造の供門(きょうもん)がのっていたと推定されます。

今帰仁城跡:水揚げ場の跡

水揚げ場の跡の写真

この城は標高約100メートル、古期石灰岩(こきせっかいがん)のほぼ独立した丘の上にあります。そのため、城内の生活用水については不便であったとされています。地元の古老によると、志慶真川から急な崖を登って水をかつぎあげたといわれています。実際、志慶真門郭の北東部には水揚げ場跡が残り、石垣は志慶真川に突き出すようにして積まれています。現在では石垣の崩壊も著しく元の形はわかりませんが、今後の調査の成果が期待される地区の一つです。

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更新日:2024年01月09日