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よみがえる今帰仁城跡:発掘調査によってよみがえる
よみがえる今帰仁城跡
◆発掘調査によってよみがえる

今帰仁城を修理するにあたってはいろいろな調査を実施しています。中でも発掘調査は埋もれてしまった石垣や建物の跡を確認することを目的に年次的に進められています。1982年〜1986年に実施した主郭の調査では今帰仁城跡がどのようにつくられたのか、建っていた建物がどのくらいの大きさだったのか等を確認することができました。そして、調査で分かったこれらの遺構は概略四つの時期に分けることができました。
 
●第T期(主郭\〜Z層:13世紀末〜14世紀初頭)
人が住み始める前
第1期の主郭の様子
はじめてこの土地に人が生活の痕跡(こんせき)を残すのは13世紀の終わり頃で、それまでは自然の岩盤が露頭(ろとう)した岩山でした。

グスク築城の最初の土木工事は、尖った石山に平場を造るために土留(とどめ)の石積みを設けます。この土留の内に版築(はんちく)という技法を使い、平坦にするための基礎工事を実施します。この平地に掘立柱建物が建てられました。最も古い建物が掘立柱建物(沖縄方言ではアナヤー)です。この建物は 平場内の北寄りに建っていて、南は広場(庭)となっています。梁間(はりま)4間(けん)、桁行(けたゆき)6間で南向きの建物です。この建物を囲むように柵列(さくれつ)の穴が東・北・西の三方で検出されまし た。南は岩山になっているので、柵列は必要なかったと考えられています。

この城柵全体の把握は今帰仁城跡が沖縄で最初となりました。
●第U期(主郭V層:14世紀前半)
今帰仁城にはじめて石垣を築くのはこの頃です。主郭の石垣は第1期の柵列の外側に築かれていて、第1期のときより敷地面積を広げていることが分かります。この石垣の内に建てられた建物が翼廊付基壇建物(よくろうつききだんたてもの)で、第T期より広くなった敷地内の北寄り(第T期の建物の上)に石積みの基壇(現存高約90cm)があり、基壇の上に建物が建っていたと考えられています。本体部分は梁間4間、桁行5間の建物で、東と西に翼廊が石垣まで延びていて、第T期と同じように南向きの建物と推定されます。基壇の外には礎石(そせき)が廻っていることから、回廊が廻っていたのかもしれません。周辺から瓦が出土しないことから瓦以外の屋根だったと考えられています。
●第V期(主郭U〜V層・志慶真門郭:14世紀中頃〜15世紀初頭)
第U期に築かれた石垣の天端まで土と石で埋め、造成工事を大規模に実施します。南側にあった岩盤は壊し、さらに90cmも敷地を広くします。造成された平場には礎石(沖縄の方言でイシジー)建物が建てられます。第W期の頃に礎石は動かされたようで、建物の規模など不明な点も多いのですが、 南と北に建物が建っていたと考えられています。この第V期の遺物包含層(第U層と第V層)からはたくさんの中国陶磁が出土しました。これは『明実録』に記された三王が中国と交易をした頃にもたらされた品々であると考えられます。この第V期は今帰仁城が最も隆盛を極めた時期であります。また、志慶真門郭も発掘調査の成果からこの頃に築かれたと推定されます。
●第W期(主郭T層・志慶真門郭:15世紀中頃〜17世紀初め)
今帰仁城は1416年(もしくは1422年)に中山の尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされ、1422年には中山(首里)から初代監守尚忠(しょうちゅう)が派遣されます。主郭の最上部(第T層)に残っている礎石(そせき)建物はこの監守の建物と推定されます。この監守の時代の記録から1609年に薩摩の軍勢によって焼き討ちにあった事が分かっていますが、調査では焼けた建物や器などが見つかっていないため確認されませんでした。監守が今帰仁から首里(中山)に引き揚げるのは1665年で、この頃には今帰仁グスクは城や役所としての機能を終えることになります。
発掘調査をする前の様子
整備が完了した今の状態
●その後
監守が引き揚げて以後、今帰仁グスクには火神の祠(ひぬかんのほこら)が建設されます。正確な建造年は不明ですが18世紀初期には建設されています。火神の祠の前には『山北今帰仁城監守来歴碑記(さんほくなきじんじょうかんしゅらいれきひき)』が1749年今帰仁王子朝忠(今帰仁按司十世宣謨)によって建立(こんりゅう)されます。今帰仁城は役所や城としての機能を失ってもなお人々の精神的拠り所として機能し、整備されることになります。現在も多くの参詣者が今帰仁城跡を訪れています。
今帰仁城跡
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